まいど、ソウジャ(創者 一客)イッカックです。
世界は、聖書の預言どうりに
進んでいるのかもしれません。
特に、きな臭い世界情勢は
刻々変化し続けて
思いもよらない
人知が読めない方向に流れ
それが、気がついたときには
聖書に書かれていた。
というふうになっているのでしょう。
ところで
人は、心(思考)の中に
邪(よこしま)なことを
抱くことがあります。
その邪(よこしま)な考え方に
染まってしまうことは
成長が出来なくなってしまうと
いうことでしょう。
自己を律するのは
「自分」しかありません。
知らず知らずのうちに、
われわれの心が
邪悪なものに
汚染されている(悪想念)かどうかは
他人には見えません。
見えないことを
良いことにして
多くの人々は、悪想念を抱いており
他人にバレなければ
良いとしている。
「欲望・堕落」
が満ち満ちており
朱に交わって「赤くなる」ような
同化作用がおきます。
したがって、罪や悪は他人ではなく
「自分が抱く」
内側の選択如何によって
決まってしまいます。
常に聖書の原則だけが、その汚染された
考えを「清めてくれる」のです。
ある考えが浮かんできたら
常にその考えを聖書に照らし合わせて
自分の考えとしなくてはならないのです。
いや、厳しいようなことを云えば
天国の住民は
「0.00000000000000000000000000・・1秒」たりとも
悪想念を寄せつけないのです。
これぐらい
私たちは、心を高めなければならないのでしょうか?
その答えは
↓↓↓
悲惨で、暗く、残酷な
また、魅惑的で、肉欲な世界
など
自分は行わなくとも
禁じられた行為を観ることでの
作られるイメージの世界に
浸って
邪悪な刺激が
いつのまにか、それに
慣れてしまって、
どんなに立派なことをしても・・・
「天の恵みによって
心が洗われなければ」
救われない!
心のなかにサタンの
「罪の足がかり」を
作ってはならないのです。
しかし、神は私たちに
以下のように、約束しています。(少し長いです)
<引用、エゼキエル書36:16~>___________________
主の言葉がわたしに臨んだ、
「人の子よ、昔、イスラエルの
家が、自分の国に住んだとき、
彼らはおのれのおこないとわざ
とをもって、これを汚した。
そのおこないは、わたしの
前には、汚れにある女の
汚れのようであった。彼らが国に血を流し、
またその偶像をもって、
国を汚したため、わたしは
わが怒りを彼らの上に注ぎ、彼らを諸国民の中に散らしたので、
彼らは国々の中に散った。
わたしは彼らのおこないと、
わざとにしたがって、
彼らをさばいた。彼らがその行くところの国々へ
行ったとき、わが聖なる名を
汚した。これは人々が
彼らについて
『これは主の民であるが、
その国から出た者である』と
言ったからである。しかしわたしは
イスラエルの家が、その行く
ところの諸国民の中で汚した
わが聖なる名を惜しんだ。それゆえ、あなたはイスラエルの
家に言え。主なる神はこう
言われる、イスラエルの家よ、
わたしがすることはあなたがたの
ためではない。それは
あなたがたが行った諸国民の中で
汚した、わが聖なる名の
ためである。わたしは諸国民の中で
汚されたもの、すなわち、
あなたがたが彼らの中で汚した、
わが大いなる名の聖なることを
示す。わたしがあなたがたに
よって、彼らの目の前に、
わたしの聖なることを示す時、
諸国民はわたしが主であることを
悟ると、主なる神は言われる。わたしはあなたがたを諸国民の
中から導き出し、万国から
集めて、あなたがたの国に
行かせる。わたしは清い水をあなたがたに
注いで、すべての汚れから清め、
またあなたがたを、すべての
偶像から清める。わたしは新しい心をあなたがたに
与え、新しい霊をあなたがたの
内に授け、あなたがたの肉から、
石の心を除いて、
肉の心を与える。わたしはまたわが霊をあなたがた
のうちに置いて、わが定めに
歩ませ、わがおきてを守って
これを行わせる。あなたがたは、わたしが
あなたがたの先祖に与えた地に
住んで、わが民となり、
わたしはあなたがたの神となる。わたしはあなたがたを
そのすべての汚れから救い、
穀物を呼びよせてこれを増し、
ききんをあなたがたに
臨ませない。またわたしは木の実と、田畑の
作物とを多くする。あなたがたは
重ねて諸国民の間に、
ききんのはずかしめを
受けることがない。その時あなたがたは自身の
悪しきおこないと、
良からぬわざとを覚えて、
その罪と、その憎むべきこと
とのために、みずから恨む。わたしがなすことはあなたがたの
ためではないと、
主なる神は言われる。
あなたがたはこれを知れ。
イスラエルの家よ、あなたがたは
自分のおこないを恥じて
悔やむべきである。主なる神はこう言われる、
わたしは、あなたがたのすべての
罪を清める日に、町々に人を
住ませ、その荒れ跡を建て直す。荒れた地は、行き来の人々の目に
荒れ地と見えたのに引きかえて
耕される。そこで人々は言う、
『この荒れた地は、エデンの園の
ようになった。荒れ、滅び、
くずれた町々は、堅固になり、
人の住む所となった』と。あなたがたの周囲に残った諸国民
は主なるわたしがくずれた所を
建て直し、荒れた所にものを植え
たということを悟るようになる。
主なるわたしがこれを言い、
これをなすのである。主なる神はこう言われる、
イスラエルの家は、
わたしが次のことを彼らのために
するように、
わたしに求めるべきである。
すなわち人を群れのように
ふやすこと、すなわち犠牲のための
群れのように、
エルサレムの祝い日の群れの
ようにすることである。
こうして荒れた町々は人の群れで
満ちる。その時人々は、
わたしが主であることを
悟るようになる」。
<36章引用終わり>________________________
私も、このことを反省し
みことばと聖霊によって
一言一言のブログコメントを
噛み締めて
心の帯を引き締めて、厳しい
自己チェックの日々を戒めたいと
思います。
わたしたちの
主、キリストの名において
われわれが邪悪な想念に侵されないように
祈ります。 アーメン。
では、また。
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https://www.youtube.com/user/SunriseMinistry?feature=guide